2016-11-19 将門塚 平将門の怨念 城・寺社 #その他趣味 将門塚 平将門の怨念 時々、テレビのミステリー特集や本で紹介される「将門塚」、皇居から大手町へ歩いていると偶然発見した。 平将門は、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、朝敵となり、即位後わずか2か月たらずで討伐された(承平天慶の乱)。 伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。 伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。 その中でも最も著名なのが、ここ東京都千代田区大手町一丁目2番1号外地図にある首塚。 築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。 この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来た。 そのことを最も象徴的に表すのが、関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件である。 2016年8月。